この日は久しぶりに明日香村周辺をくるっと一周してきました。
高取城の紅葉鑑賞がメインなんですが、これだけだと距離がちと少ないので談山(たんざん)神社まで足を伸ばしてから石舞台古墳へ下山し橿原神宮前駅まで。
途中で小雨がぱらついてきたのでこれくらいの距離で丁度良かったかな~と。
本日の走行距離23.7km、タイム4時間27分、最高気温11度、累積標高929m。
近鉄吉野線の壷阪山駅からスタート。
駅前には多くのハイカーが集結してますが、高取城の紅葉がお目当てなのかな?ってここはそれしかないやろ~
壺坂山駅から高取城までは土佐街道を真っ直ぐに登っていくのがオーソドックスなコースですが、自分は少し迂回して壺坂寺経由で登っていきます。
壺阪寺まで3.5km、31分。
703年創建の真言宗寺院で西国三十三ヶ所観音霊場の第六番札所。
壺坂霊験記で有名な眼病封じのお寺として知られています。
壺坂寺を少し越えたところに高取城へと続く登山口があり、少し登っていくと五百羅漢が見えてきます。
羅漢というお釈迦様の弟子(と言っても悟りを開いた高僧)500人が岩肌に刻まれていますが、これって羅漢さんが信仰の対象になっていたということなのかな?
五百羅漢以降も登山道沿いに多くの石仏が点在しています。これらを総称して香高山磨崖仏(こうこうさんまがいぶつ)と呼ぶのだとか。
石仏群を過ぎると踏み跡はっきりしたトレイルが高取城まで続きます。
高取城跡(583m)に到着。ここまで5.8km、1時間6分。
壺坂口門から入城すると大手門の石垣が見えてきました。下記は振り返って撮影。
高取城は南北朝時代に豪族の越智氏が築城し、明治維新の藩籍奉還で廃城になって現在に至る。
備中松山城、美濃岩村城とともに日本三大山城の一つなのだとか。
今日は紅葉が見頃で多くの観光客が訪れていました。
本丸まで上ってきました。ここを訪れるのは2回目なんですが、「こんな山の上によくこれだけのものを作ったもんだな~」と感心しきり。
大手門まで戻ってきて次は芋峠方面へ進みます。
ここから先は主要登山道を外れるので誰もいないしシーンと静まりかえっている。
コースは高取城からいったん南下するような地形になってるのだけど、30分くらい歩いたところ(1.6km経過地点)で下記の石垣を発見。
「こんな所にまで石垣が残ってるとは! 出城でもあったのかな?」と思い調べてみるとこれは弥勒堀切(みろくほりきり)といって、芋峠側から尾根づたいに攻めてくる敵を足止めするために山道を開削して溝にしたものらしい。
途中でぱっと林道に出ました。このまま林道を進むのかな? と思ってると再びトレイルに戻ります。
芋峠(いもとうげ、497m)に到着。ここまで9.4km、2時間8分。
現在は県道15号線が走っていますが、歴史的には飛鳥と吉野を最短で結ぶ古道であり、持統天皇や藤原道長が吉野に入るのに利用したのだとか。
道を横断して向かいの登山口から談山神社に向けてトレイルを登っていきます。
しばらくフラットなトレイルが続きますが・・・
やがて名物(?)の激坂が見えてきます。
ここは過去に一度逆向きで歩いてきて下りでとても難儀したところ。
当時はロープ等掴むものが何もなく、ずり落ちそうでとても恐い思いをしました。
今日は登り利用かつロープが用意されていたので思った程大変ではなかったですね。
これ以降は特に危険箇所はなく、アップダウンもそれほどないので歩き易い。
竜在垰(りゅうざいとうげ、717m)に到着。ここまで12.2km、2時間53分。
右から来ましたが、左の道は滝畑集落を経て吉野に至る古道。
江戸時代には本居宣長が吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)参拝で歩いた道なのだとか。
談山神社まであと3kmなんだけど、眺望もなく同じような雰囲気の道が続くのでだんだんと飽きてくる。
ようやく冬野集落に到着。民家はありますがひっそりとしてます。
程なく談山神社西山門跡に到着。ここまで15.5km、3時間22分。
神社に寄るつもりだったのですが、道路が駐車場待ちの車で渋滞しており、これ見て寄る気なくしました。プラス小雨がぱらついてきたので早めに下山する事に。
茂古(もうこ)の森を通過。大化の改新で暗殺した蘇我入鹿の首に追われた藤原鎌足がこの地まで逃げてきて「もう来ぬだろう」と言った事に由来しているのだとか。
県道155号線沿いを走って石舞台古墳に到着。ここはさらに多くの観光客で溢れかえってました。まあ明日香村観光のメインスポットですからね~
この後、甘樫丘(あまかしのおか)公園前を通過して橿原神宮前駅までラン。
おわり
本日の活動軌跡